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戸籍 (古代) : ウィキペディア日本語版
古代日本の戸籍制度[こだいにほんのこせきせいど]

古代日本の戸籍制度(こだいにほんのこせきせいど)は、飛鳥時代に撰定・編纂された律令による人民把握のための戸籍。主なものに庚午年籍(こうごのねんじゃく)や庚寅年籍(こういんのねんじゃく)があげられる。
正倉院文書に古代の戸籍の一部が残されている。また近年、漆紙文書のかたちで秋田城跡多賀城跡下野国府跡など地方の城柵遺跡官衙から、戸籍木簡としては周防国府などで出土しており、赤外線による解読作業がおこなわれている。
このうち庚午年籍は、670年(天智9年/庚午の年)につくられた戸籍。古代においては、一般の戸籍は6年ごとに作成され、30年を経ると廃棄される規定であったが、庚午年籍は永久保存とされた。しかも、この年が『近江令』施行の年でもあったから、これにならってつくられたものと思われる(後述)。

==戸籍のはじまり==
造籍に関する古い例としては、
540年欽明元年)八月の条「秦人(はたひと)・漢人(あやひと)等、諸蕃(しょばん)より投化せる者を招集して、国群に安置し、戸籍に編貫す。秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのじょう)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす」(『日本書紀』)。
とあり、6世紀の中頃、欽明朝頃には、まず渡来系の人々を戸籍によって支配したことが窺われる。
569年(欽明30)の春正月に、詔で吉備の白猪屯倉(しらいのみやけ)では、年齢が十歳あまりに達しているのに、籍に漏れているために賦課を免ぜられている者が多い。膽津(いつ)を遣わして田部の丁籍を検定せよと述べた。4月になって、膽津は詔に述べられているとおりによく丁(よほろ)を調査して籍を定め、田戸を編成したので、その功をほめて白猪史(しらいのふひと)の姓を賜い、田令(たづかい)に任じた(『日本書紀』)。
丁籍は、課役を負担する成年男子のみを記載した。田戸は、田部を編成して丁籍よりも正確な戸籍を造ったのか。はじめに籍を造っただけで、後は定期的に籍を作成することもなかったらしいので、このような不具合が生じたらしい。
さらに574年敏達3)十月の条に、大臣蘇我馬子を吉備に遣わし、白猪屯倉と田部とを増益して、その田部の名籍を膽津に授けたとある(『日本書紀』)。
名籍は、胆津が新しく造ったもので、後の戸籍・計帳に近いものか。これらは渡来系集団や屯倉の田部などの造籍であり、すべての人民を対象とする律令制の戸籍制とは異なる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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